戦後の日本に驚異的な復興が始まります。昭和21(1946)年、第三代社長に就任した飯田実は、民需産業へ復帰するため経営体制の刷新・機構改革を断行、ボイラーやラジエーターの生産設備を復旧し、まずは占領軍の大量受注を賄います。 その後は民間需要を視野に入れ、従来の代理店制度は継続しながらも、販売面強化のため自社営業活動を全国主要都市に拡大させていく方策がとられました。 |
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また、石炭から石油へのエネルギー革命に応えたオイルバーナーの製造が開始されるとともに、低公害型や高効率型の機器開発にも取り組み、「SKボイラー」など時代を担う傑作機が数多く誕生しました。その一つ「昭和ボイラー」は高効率が認められ、昭和36(1961)年に皇居吹上御座所へ納入されました。 さらに、冷房機をラインナップに加えて空調事業にも参入し、ダクタイル鋳鉄の製造や外販も開始しました。 |
この時期、「ボイラーの昭和鉄工」が完全復活し、東洋一の業務用ボイラー・ラジエーターメーカーへと飛躍。売上高を昭和30(1955)年の5億円から、昭和47(1972)年には55億円超としました。 |
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