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環境の激変

多角化による不況克服で上場へ

昭和47(1972)年、第四代社長に就任した山本哲夫は、ボイラーの製造・販売を強化する既定路線を踏襲しながら、会社の将来を支え発展へと導く新技術開発の必要性から製品開発センターを設置しましたが、オイルショックに見舞われたため抜本的な合理化を実施するとともに、工場の再配置に踏み切りました。

 
 

また、低NOxオイルバーナー・無圧開放式温水ヒーターなどの開発や、OEMによるボイラー・冷暖房機の生産を開始するなど、既存事業分野の革新策を矢継ぎ早に打ち出しながら、新事業として橋梁の高欄事業や水処理事業を立ちあげ、「ボイラーの昭和鉄工」プラス新事業という事業構造のもと、売上高を100億円超としました。

昭和60(1985)年、第五代社長に就任した赤沼利彦の時代には、循環温浴器「バスポカ」の市場投入を契機に、平成2(1990)年に福岡証券取引所への上場を果たしました。

景況に左右されながらも、ボイラーや空調機器というコア事業プラス都市景観・素形材・車体架装・環境機器・工事事業で時代の荒波の乗り切りを図りました。

 
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