ボイラー・温水ヒーター
2019/06/03
国の登録有形文化財「豊郷小学校旧校舎群」に残る当社製の「アサヒボイラー」が、
このたび一般社団法人建築設備技術者協会の2019年度「建築設備技術遺産」に認定されました。
建築設備技術者協会のニュースリリース

建築設備技術遺産は、
建築設備における空調、衛生、電気、搬送の4 領域に関する
技術と技術者の歴史的な足跡を示す事物・資料であり、
建築設備技術の進歩、発展において重要な成果を示したもの、
また、生活、経済、社会、地球環境、技術教育に貢献した、
または当時を反映する建築設備技術を
建築設備技術者協会が審査し認定するものです。
これまで、呉の大和ミュージアムに展示されている巡洋戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラーや
日本初のビル用マルチエアコンや衛生設備等
技術的・歴史的価値の高い近代建築設備が遺産として認定を受けてきました。
建築設備技術遺産の過去の認定品はこちらから。
当社は創業以来136年におよぶ長い歴史の中で、ボイラーやラジエーターなど
数々の建築設備を製造・納品してきましたが、戦前のもので現存するものは多くはありません。
建て替えやリニューアル、戦時の金属供出によって解体され姿を消したものがほとんどです。
そんな中、滋賀県に保存されている「豊郷小学校旧校舎群」のボイラー室には
昭和初期に当社が製造した鋳鉄製ボイラーが残っていました。
「豊郷小学校旧校舎群」と「アサヒボイラー」

豊郷小学校旧校舎は、1937年、当校出身で当時「丸紅商店」の専務であった古川鉄治郎氏が私財を投げ打ち、
ヴォーリズ建築事務所の設計により建設、寄贈したものです。
当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の壮麗な校舎は、
「東洋一の小学校」と呼ばれ、暖房設備など時代の最先端の技術を惜しみなく採用しています。
校舎の耐震化のため「解体し新校舎を建設」との方針も示されましたが、
地元町民の保存運動もあり、新校舎を新築する一方で旧校舎が保存され、
2013年には国の登録有形文化財の指定を受けました。
現在は、町立図書館や子育て支援センターなど町の複合施設として利用されており、校舎の見学も自由にできます。
豊郷小学校旧校舎の案内はこちらから。

認定された「アサヒボイラー」は、当社が1936年(昭和11年)に製造し、
当時の滋賀県犬神郡豊郷尋常高等小学校にて、全館暖房用のボイラーとして利用されていたものです。
「アサヒボイラー」は、当時世界的に著名であったアメリカンラジエーター社製を参考に、
日本産の石炭に適合させ、かつ国内法令に適合できるように研究開発されたもので、
1931(昭和6年)に販売開始されました。
暖房用ボイラーは明治維新以降、海外製が主流でしたが、
「アサヒボイラー」はその性能が高く評価され、
発売後20年以上に渡り国産鋳鉄ボイラーとして業界に君臨した傑作機でした。
「アサヒボイラー」によって、ボイラーの国産化という当社創業者斉藤一(写真前列)の長年の悲願が
遂に達成されることにもなりました。
建築の設備機器は、機能の劣化とともに解体撤去されてしまいますが、
これは戦時中の金属供出を逃れ、また建物保存という幸運に恵まれて、
建物とともに現存している戦前の貴重な建築設備遺産との評価を受け、認定に至りました。
昨年、豊郷町教育委員会の協力のもと行った調査時の写真を紹介させていただきます。

あらためて、豊郷小学校の旧校舎の本棟エントランス前です。
右手に本校の建設に尽力した古川鉄治郎氏の胸像が見えます。
「白亜の殿堂」との当時の異名通りの外観です。

手入れが行き届いた一階の廊下部分。
2011年公開のアニメ映画「けいおん! 」では
舞台である高校のモデルにもなりました。
今でも聖地巡礼のファンが絶えないということです。

講堂です。教会のような趣がありました。
設計者のウィリアム・メレル・ヴォーリズは教会建築も数多く手がけています。
左右の壁の黒い部分はラジエーターが埋め込み設置されていたところですが、
戦時に金属供出され、カバーの奥は空洞になっていました。

講堂の裏手に地下のボイラー室に通じる入り口があります。

階段で地下へ降りると……
ありました!

浸水により朽ちている部分はありますが、
充分に原型をとどめています。
耐食性の高い鋳鉄製ということが幸いしました。

扉の鋳刻からアサヒボイラー5型とわかります。
「SHOWA TEKKO CO.LTD. FUKUOKA JAPAN 」
の文字と当社のSのロゴマークが見えます。

手焚きに比べて労力的にも、燃焼効率的にもメリットがあったと思われる
自動給炭器(ストーカ)も残っていました。

ボイラーの側面です。背面には煙突につながる煙道が見えます。

ポンプ用の電源盤は比較的きれいな状態でした。

浸水していた水位が壁の変色ではっきりとわかります。
この壁の電流計の用途は不明です。

ボイラー右側の配管も水に浸かっていた部分の腐食が激しいです。
外されていますが、おそらくポンプがあったと思われます。

ボイラー室は概ねこのような配置でした。

いかがでしたか。時間が止まったような戦前のボイラー室の空気感と歴史の重みが少しでも伝われば幸いです。
歴史的建造物の中には、当社製品のボイラーやラジエーターがまだまだ埋もれているかもしれません。
当社としては今後も調査を進め、後世に残すヘリテージとして紹介していきたいと思います。
ご協力をいただいた豊郷町教育委員会の皆様、本当にありがとうございました。
豊郷小学校旧校舎のアサヒボイラーが 「建築設備技術遺産」に認定されました!
sts design
国の登録有形文化財「豊郷小学校旧校舎群」に残る当社製の「アサヒボイラー」が、
このたび一般社団法人建築設備技術者協会の2019年度「建築設備技術遺産」に認定されました。
建築設備技術者協会のニュースリリース

建築設備技術遺産は、
建築設備における空調、衛生、電気、搬送の4 領域に関する
技術と技術者の歴史的な足跡を示す事物・資料であり、
建築設備技術の進歩、発展において重要な成果を示したもの、
また、生活、経済、社会、地球環境、技術教育に貢献した、
または当時を反映する建築設備技術を
建築設備技術者協会が審査し認定するものです。
これまで、呉の大和ミュージアムに展示されている巡洋戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラーや
日本初のビル用マルチエアコンや衛生設備等
技術的・歴史的価値の高い近代建築設備が遺産として認定を受けてきました。
建築設備技術遺産の過去の認定品はこちらから。
当社は創業以来136年におよぶ長い歴史の中で、ボイラーやラジエーターなど
数々の建築設備を製造・納品してきましたが、戦前のもので現存するものは多くはありません。
建て替えやリニューアル、戦時の金属供出によって解体され姿を消したものがほとんどです。
そんな中、滋賀県に保存されている「豊郷小学校旧校舎群」のボイラー室には
昭和初期に当社が製造した鋳鉄製ボイラーが残っていました。
「豊郷小学校旧校舎群」と「アサヒボイラー」

豊郷小学校旧校舎は、1937年、当校出身で当時「丸紅商店」の専務であった古川鉄治郎氏が私財を投げ打ち、
ヴォーリズ建築事務所の設計により建設、寄贈したものです。
当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の壮麗な校舎は、
「東洋一の小学校」と呼ばれ、暖房設備など時代の最先端の技術を惜しみなく採用しています。
校舎の耐震化のため「解体し新校舎を建設」との方針も示されましたが、
地元町民の保存運動もあり、新校舎を新築する一方で旧校舎が保存され、
2013年には国の登録有形文化財の指定を受けました。
現在は、町立図書館や子育て支援センターなど町の複合施設として利用されており、校舎の見学も自由にできます。
豊郷小学校旧校舎の案内はこちらから。

認定された「アサヒボイラー」は、当社が1936年(昭和11年)に製造し、
当時の滋賀県犬神郡豊郷尋常高等小学校にて、全館暖房用のボイラーとして利用されていたものです。
「アサヒボイラー」は、当時世界的に著名であったアメリカンラジエーター社製を参考に、
日本産の石炭に適合させ、かつ国内法令に適合できるように研究開発されたもので、
1931(昭和6年)に販売開始されました。
暖房用ボイラーは明治維新以降、海外製が主流でしたが、
「アサヒボイラー」はその性能が高く評価され、
発売後20年以上に渡り国産鋳鉄ボイラーとして業界に君臨した傑作機でした。
「アサヒボイラー」によって、ボイラーの国産化という当社創業者斉藤一(写真前列)の長年の悲願が
遂に達成されることにもなりました。
建築の設備機器は、機能の劣化とともに解体撤去されてしまいますが、
これは戦時中の金属供出を逃れ、また建物保存という幸運に恵まれて、
建物とともに現存している戦前の貴重な建築設備遺産との評価を受け、認定に至りました。
昨年、豊郷町教育委員会の協力のもと行った調査時の写真を紹介させていただきます。

あらためて、豊郷小学校の旧校舎の本棟エントランス前です。
右手に本校の建設に尽力した古川鉄治郎氏の胸像が見えます。
「白亜の殿堂」との当時の異名通りの外観です。

手入れが行き届いた一階の廊下部分。
2011年公開のアニメ映画「けいおん! 」では
舞台である高校のモデルにもなりました。
今でも聖地巡礼のファンが絶えないということです。

講堂です。教会のような趣がありました。
設計者のウィリアム・メレル・ヴォーリズは教会建築も数多く手がけています。
左右の壁の黒い部分はラジエーターが埋め込み設置されていたところですが、
戦時に金属供出され、カバーの奥は空洞になっていました。

講堂の裏手に地下のボイラー室に通じる入り口があります。

階段で地下へ降りると……
ありました!

浸水により朽ちている部分はありますが、
充分に原型をとどめています。
耐食性の高い鋳鉄製ということが幸いしました。

扉の鋳刻からアサヒボイラー5型とわかります。
「SHOWA TEKKO CO.LTD. FUKUOKA JAPAN 」
の文字と当社のSのロゴマークが見えます。

手焚きに比べて労力的にも、燃焼効率的にもメリットがあったと思われる
自動給炭器(ストーカ)も残っていました。

ボイラーの側面です。背面には煙突につながる煙道が見えます。

ポンプ用の電源盤は比較的きれいな状態でした。

浸水していた水位が壁の変色ではっきりとわかります。
この壁の電流計の用途は不明です。

ボイラー右側の配管も水に浸かっていた部分の腐食が激しいです。
外されていますが、おそらくポンプがあったと思われます。

ボイラー室は概ねこのような配置でした。

いかがでしたか。時間が止まったような戦前のボイラー室の空気感と歴史の重みが少しでも伝われば幸いです。
歴史的建造物の中には、当社製品のボイラーやラジエーターがまだまだ埋もれているかもしれません。
当社としては今後も調査を進め、後世に残すヘリテージとして紹介していきたいと思います。
ご協力をいただいた豊郷町教育委員会の皆様、本当にありがとうございました。