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歴史ある大企業と肩を並べる快挙。
省エネ大賞の最高賞に輝きました。

『省エネ大賞』ってなんだ?

『省エネ大賞』──家電を買う時に目にする人も多いんじゃないでしょうか。でも、この賞を獲得しているのは、家電だけではありません。
一般財団法人の省エネルギーセンターが主催し、経済産業省が後援を務めるこの賞は、日本の産業や業務、運輸の各部門の企業を対象に、優れた省エネの取り組みや、製品、ビジネスモデルなどを表彰する制度です。毎年、国内の超有名企業が参加し、それぞれの技術力をかけて厳しい審査に臨んでいます。

最高賞に選ばれた昭和鉄工。

そんな中、平成30年度の『省エネ大賞』における最高賞『経済産業大臣賞』に、私たち昭和鉄工の「ラデック」が選ばれました。
「ラデック」は、換気によって室内に入ってくる外気の温度や湿度を処理する、リタンエアデシカント外気処理機です。環境問題が深刻化する今、日本のビルにかかる消費電力の省エネ化は、いち早く推し進めるべき課題だと言われています。「ラデック」が最高賞に選ばれたのも、オフィスビルやテナントビルのエアコンの除湿負荷を低減させる画期的な技術が、高く評価された結果なんだと思います。

最高賞に選ばれた昭和鉄工

歴史ある企業ならではの技術。

ところでこの『省エネ大賞』、これまでの受賞企業を振り返ると、明治~昭和期に創業した、日本を代表する老舗企業ばかりが名を連ねています。その中に、明治生まれの私たち昭和鉄工も、ついに仲間入りを果たしたわけです。時代に活きる技術とは、一朝一夕に成らず。明治、大正、昭和、平成、そして、令和──歴代社員たちのチャレンジと経験のうえに育っていくものなんだなァと、あらためて感じている私たちです。

歴史ある企業ならではの技術

グッドデザイン賞への挑戦。
「デザインの昭和鉄工」と呼ばれる理由。

デザインへの挑戦、その第一歩。

昭和鉄工の「やるじゃん!」は、技術だけじゃありません。「デザインの昭和鉄工」とも呼ばれていることも、覚えておいてくださいね。
日本において、デザインに与えられる栄誉ある賞といえば、『グッドデザイン賞』が挙げられます。当社が初めて『グッドデザイン賞』に挑戦したのは1997(平成9)年のこと。バブル経済がはじけて、景気が後退し始めた時期でした。
好景気時代に公共工事で売り上げを伸ばしていた、われら昭和鉄工の都市景観事業部にも、じわりじわりと不況の影が。「このままじゃ、いかん。もっと付加価値の高い製品を開発して、市場での優位性を確保しよう。そして、デザインの力で新しい昭和鉄工像をつくっていこう」──私たちはそう決めました。今でいう、企業ブランディングに取り組んだのです。

デザインへの挑戦、その第一歩。

『グッドデザイン賞』金賞、獲得!

ちょうどその頃、2年の歳月をかけて開発していた「アーバネクスシリーズ」という、2つのストリートファニチャーが完成。それは、新しい昭和鉄工を象徴するような、機能的かつスマートな仕上がりでした。このシリーズを『グッドデザイン賞』に応募したところ、見事に受賞。しかも2点のうちの1点の「FTタイプ防護柵」は、金賞に輝いたのでした。
金賞といえば、その年のデザインのベスト10入りみたいなものですから、初応募の土木製品が受賞するなんて大金星です。ちなみに、この年には当社製品と並んでアウディの最新セダンが同じく金賞に選ばれています。どれだけの快挙だったか、想像できるでしょう?

『グッドデザイン賞』金賞、獲得!

企業に根付くデザインマインド。

その後も昭和鉄工は『グッドデザイン賞』にエントリーし続け、これまで出品した9品目のうち、7品目が受賞しています。かつて金賞に輝いた「アーバネクスシリーズ」の防護柵は改良を重ね、現在もローコストプレミアムな製品として多くの設計者に支持され、都市の再開発にも数多く採用されています。博多をはじめ新宿や表参道などよく見慣れた道にも、使われているかもしれませんよ。
『グッドデザイン賞』以外にも優れた景観を表彰する『都市景観大賞』や、サイン分野を表彰する『SDA賞』など、昭和鉄工は多くの評価を受けています。『福岡デザインアワード(福岡県産業デザイン協議会)』の会長は初年度から10年に渡り、当時の当社社長の水口氏が務めるなど、地域のデザインを引っ張る存在にまで成長しました。
このように、私たちの企業風土にはしっかりとデザインマインドが根付いています。見ていてください。私たちは「やるじゃん、昭和鉄工!」という声が集まるデザインを、これからもずっと発信し続けますからね。

企業に根付くデザインマインド。

天神地下街の鋳物大天井。
福岡の“顔”を描いた昭和鉄工の鋳物技術。

地下街の天井に、昭和鉄工。

福岡市の中心、天神地区の地下に広がる、天神地下街。遊びに行った時は、ぜひ上を見てほしいんです。石畳とともに特徴ある景観を華やかに演出している鋳物の大天井こそ、私たち昭和鉄工が手掛けた自信作なんですから。

装飾鋳物へのチャレンジ。

鋳物技術は当社が創業以来ずっと磨き続け、ボイラーやラジエーターの製造にも活かしてきた自慢の技術です。当社の鋳物は国内で初めてJIS認定を取得した「ダクタイル鋳鉄」。全国的にも高い評価を集めています。
外観にも厳しい装飾鋳物への進出は、当社の技術力が試されるチャレンジでしたが、社員の奮闘もあって天神地下街のプロジェクトは大成功。私たち昭和鉄工のデザイン、設計、製造、施工の総合力が認められた証しだと、今でも胸を張って言えます。

装飾鋳物へのチャレンジ。

建築や土木の現場にも活きる技術。

地下街の大天井の成功はその後、橋梁や街路公園などの鋳物製品市場への進出につながり、近年では建築や土木材料にも鋳物技術を応用しています。
ちなみに、1976(昭和51)年に開業した天神地下街は29年後の2005(平成17)年、南へと延伸。私たち昭和鉄工は、ふたたび天井製作を請け負いました。その時のエピソードはギャラリーのページで紹介していますので、合わせてごらんくださいね。

建築や土木の現場にも活きる技術。

都市景観事業では橋梁の高欄を手がけています。全国各地に広がる実績の一部をご紹介します。

全国各地に広がる実績の一部をご紹介します。

①築地大橋(東京都中央区) ②ハウステンボス歩道橋(長崎県佐世保市) ③おしなり橋(東京都墨田区) ④女神大橋(長崎県長崎市) ⑤はまみらいウォーク(神奈川県横浜市) ⑥ブルーウィングもじ(北九州市門司区) ⑦福博であい橋(福岡市)

昭和鉄工の歴史は、熱をコントロールする歴史。
数々のヘリテージが証明する、時代の第一線。

国産の暖房装置を作れ!

「明治16年創業って……ただ古いだけじゃん!」──そんな人にこそ、ぜひ読んでほしい話をしましょう。
今じゃ想像できないけれど、創業当時の福岡は、まだ電気もガスもない時代。維新後まもない、田舎も田舎の福岡で、斉藤一は医療器械の会社「斉藤製作所」をはじめました(新撰組の斉藤一じゃありませんよ、念のため)。
斉藤はその後、今の九州大学医学部の依頼を受けて、病院の医療器械のほかに暖房機器の製造もはじめます。機械工学面は京都帝国大学の先生に相談しながら地道に実績を重ね、やがて東京へも進出。市場を全国の公立病院や軍関連の施設へとジワジワ広げていったのです。
その頃の日本の市場は輸入品が席巻していて、純国産の工業製品はほんのわずか。その中で斉藤は、極めて高い技術が求められる暖房装置の国産化にいちはやく挑みました。このチャレンジによって、「斉藤製作所」は日本で数少ない暖房装置の国産メーカーとして知られるようになるのです。

国産の暖房装置を作れ!

今も遺る、明治時代のヘリテージ。

その時代の貴重なヘリテージに、明治天皇のお召列車御料車のラジエーターがあります。御料車とは、天皇陛下が使うお召列車の客車のこと。海軍省や大蔵省に暖房器具を納入していた実績を買われ、車両の国産化にこだわった宮内省がわざわざ福岡の「斉藤製作所」に白羽の矢を立てたのだと思われます。
この時に納められた鋳鉄製のラジエーターは、現在も愛知県「博物館明治村」に展示されている6号御料車内の中に、当時のまま良好な状態で保存されているんです。この情報を知った私たちはすぐ現地に向かい、ラジエーターの現存を確認。あまりの感動にふるえましたね。

今も遺る、明治時代のヘリテージ。

「アサヒボイラー」の偉業。

さて、時は流れて昭和のはじめ。国は工業製品のさらなる国産化を推し進めていました。が、ボイラー市場はドイツ製やアメリカ製がほとんどでした。この時、世界レベルを超える“メイド・イン・ジャポン”ボイラーを完成させたのも、斉藤一の熱意を引き継ぐ当社でした。1931(昭和6)年に発表したこの純国産「アサヒボイラー」の性能は、鋳鉄製ボイラーの最高傑作と讃えられ、国内はもちろんアジア諸国にも広く売り出されました。
「アサヒボイラー」は市場から輸入品を一掃するほど人気を博し、その後、業界に長く君臨するナショナルブランドへと成長します。1937(昭和12)年には、当時の最先端設備を備えて“東洋一の小学校”と呼ばれた豊郷小学校にも採用されたほど。この小学校は「豊郷小学校旧校舎群」(滋賀県犬上郡豊郷町)として、2013(平成25)年に国の登録有形文化財に登録されました。校舎の地下室には、もちろん当時の「アサヒボイラー」も残っていて、「2019年度建築設備技術遺産」に認定されました。
どうですか?昭和鉄工は、ただ古いだけじゃない。つねに新しい時代を見据えて、進化しています。現在も、そして、未来も。私たちは将来ヘリテージになり得る製品をつくり続けます!

「アサヒボイラー」の偉業。

世界に影響を与えた「トヨタ生産方式」。
トヨタ系列以外で最初に取り組んだのは、昭和鉄工です。

世界に広まった「トヨタ生産方式」とは?

現在の日本の工場における生産ラインは、徹底的にムダをなくし、改善を繰り返し、安全性の高い安定した品質を納期通りに納められるように整えられています。日本においてこの生産方式を最初に体系化したのが、トヨタです。7つのムダを定義し、これらをなくすために「ジャスト・イン・タイム」と「自動化」の2本柱を体系化した「トヨタ生産方式」は、その後世界へと広まり、生産効率を向上させる基本思想として大きな影響を与えました。

世界に広まった「トヨタ生産方式」とは?

「巨大なトヨタ、小さな昭和鉄工」。

今でこそ当たり前となった「トヨタ生産方式」ですが、じつは、トヨタの関連会社以外で最初にこの生産方式を導入したのは昭和鉄工だって、ご存知でしたか?
この事実を証明する1冊の本が、1997年に出版された「ムダなし企業への挑戦~リーン思考で組織が若返る」(J・P・ウォーマック、D・T・ジョーンズ著/日経BP社発行)。1980年代、「トヨタ生産方式」の基本思想をベースに、アメリカで新たに体系化された「リーンシンキング」について語られた名著です。この本の中に「巨大なトヨタ、小さな昭和鉄工」という章があり、1984年以降、「トヨタ生産方式」のシステム方法論を確立した大野耐一氏(当時、トヨタ自動織機とトヨタ合成の会長)の指導のもと、当社が全面的な変革を成し遂げるまでの軌跡がつづられています。

「巨大なトヨタ、小さな昭和鉄工」。

SHOWAのドメインが獲得できた理由。

もう1つ、昭和鉄工が他社に先駆けて取り組んだこと。それはホームページの開設です。「SHOWA」のドメインを難なく取得できたのも、スピードの勝利。それこそ当時は「昭和」のつく会社や団体が星の数ほどありましたから、少しでも遅ければ取得できなかったと思われます。
いかがですか、昭和鉄工というお堅い会社名からはちょっとイメージできない“早さ”でしょう?情報収集力や判断力、決定力…ものづくりにおいて、スピードは大事な要素。どこよりも早い挑戦は、これからもずっと変わらない昭和鉄工の強みです。

SHOWAのドメインが獲得できた理由。